妻が久々に実家に顔を出したいと言っていて、以前からこの週末は義実家にお邪魔する予定になっていた。なんとか家族の体調も回復し妻の里帰りを実行に移すことができて、長野県の義実家にいる。
長野も新潟に負けず劣らず大きな県で、同じ長野県でも北のほうと南のほうではだいぶ気候も違うようだが、義実家のあるところはかなり良い気候で、夏は涼しいし、冬はめちゃめちゃ寒いけれどそれでも雪はあまりつもらず(とは言え関東よりはつもる)晴れることも多い。そのような気候と山に囲まれているのはやはり気分が良いもので、わたしにとっても義実家に顔を出すのは結構楽しみなイベントのひとつになっている。家の周りを散歩していて野鳥が見れるのもうれしい。鳥はかわいい。
義実家にいても生活はあまり変わらない。夜息子が寝静まってから仕事を本格的にはじめて、夜が明ける頃に眠る。昼過ぎまで寝ている。夕食もわたしが作ることがある(義母も義父も忙しく働いているので)。今日は妻の希望で焼うどんを作った。舞茸を入れたのだが、その舞茸が新潟産で、新潟から長野までやってきて新潟産の舞茸を調理している新潟産の男というのがなんだかおかしかった。
義実家との関係が良好なのは喜ばしいことだと素直に思う。
この間(おとといかな?)久々に雑文を書いたんだけど、ほんとうに自分の雑文を書く筋力が衰えていることにびっくりした。そんな筋力なんの役にも立たないのだけれど、以前はそれなりに「文章を書くのがうまいね」などと言われていたこともあり、ずっと目的のある文章ばかり書いていて雑文を書いてこなかったことについて、なんかもったいないことをしたな、と感じてしまった。
もうひとつ驚いたのが、久々に雑文を書いたら、思った以上に気分が良かったということだ。もともと文章を書くことは好きなのだ、ということを改めて実感した。雑文だから、なにかの表現になっている必要なんてない。もっとそういう「なににもならない文字列」というものを書いて行ってもいいのかもしれない。
ノロウイルスによる腹痛は治まり、吐き気もほぼ消えた。ずっと味の薄い消化にいいものばかり食べていたせいか、無性にジャンク・フードが食べたくなり、今日のお昼はマクドナルドのハンバーガーを食べた。マクドナルドのハンバーガーではビッグマックが好きでよく食べるのだけれど(たしかあのソースってビッグマックじゃないと食べれないんだよね?)、さすがにいきなりビッグマックを食べる勇気はなくて、ふつうのハンバーガーを食べた。おそるおそる食べてみたが、ケチャップとピクルスが下品に主張してくる。でもべつに気持ち悪くはならなかった。ノロに打ち勝ったのだ、私は。ところで、マクドナルドのあの「ダメな感じ」はモスとかフレッシュネスでは出ないものだよな、と感じる。たまにあの「ダメな感じ」が食べたくなる。まあ、どちらがおいしいと思うかと言われればフレッシュネスなのだけれど。
病気で進まなかった仕事のことを考えると気分が沈む。気乗りしない仕事と気乗りする仕事があるが、気乗りしない仕事は吐瀉物と一緒にトイレに流してしまいたかったな、などと詮無いことを考えたりもしているけれど、まあ、やるべきことはやるべきこととしてやるしかないので、マシーンとなって片付けて行こう。
普段 TV とかスポーツの話題とかあまりしないようなひとが twitter にオリンピックの話題を post してるのを見るのが、辛いというほどではないんだけどなんかチクっとくる。
別にオリンピックに悪意ないし、オリンピックを馬鹿にするつもりないし、オリンピックに興味持つことを下に見るつもりもまったくなくて、ええとなんていうか、要するに「あ〜はいはいオリンピック興味ない、ちょっと普通と違うわたしアッピールですか〜?」みたいなアレではないんだ。
そういう post をやめてほしいともおもってなくて、ただ、わたしの気持ちがチクッとするってだけ。
たぶんこれ、昔学校で「暗いグループ」にいる仲間だと勝手にこっちが思っていたひとがなんか「明るいグループ」と談笑してるのを見かけたときにこっちが勝手に感じる「あっなんか、わたし、置いていかれてる」みたいな気持ちに近いやつなんだと思う。
結論ないしだれにどうして欲しいわけでもなくて、ただそういう感情があるな〜って思ったっていう話
ハッピーバレンタイン!
ハッピーホワイトデー!
ご入学おめでとうござい!ます!
GW最高!
ご結婚おめでとうございます!
七夕!めでたい!
お盆!
良い月ですね!
ハッピーハロウィン!
ハッピーボジョレー!
メリークリスマス!
はてなブックマークにコメントを残すことを生業にしているひとたち、はてなブックマークでの大勢を見極めてその勝ち馬にのって自らをすごく見せたいみたいな行動原理で動いてるっぽいひとが多い気がしているしどんどんはてなブックマークが嫌いになる。あとちょっと調べればわかることを調べずにコメントするひと多いけど自分の価値下げてるだけだと思う
子供は親を選べないみたいなので本当に悲惨な話たくさんあって、そういうのを見るたびに「なんとかなんないのかな」って思う。
子供にとっては家と学校が「全世界」だったりするのがほんとうに怖いなって思ってて、家で悲惨な目にあってる子供って学校では学校で「異質なもの」みたいな感じで排除されがちだったりする。そうすると本当に世界中どこにも逃げ場がなくって、子供にとっては「それがあたりまえ」になっちゃったりするように思う。しかもそれがある種「他が見えないから大丈夫」みたいな形で救いになってたりする部分もあるような気がして、ほんとうにそれはひどいことだと思う。あらかじめ奪われているひとは奪われていることに気づけないし気づかない。
どうしたらいいのかなぁ、って思うんだけど、ぜんぜんわからない。ただ、「逃げ場」みたいなものがみんなに用意されてればいいのにな、って思う。インターネットはその逃げ場を作ってくれる可能性があると思うんだけど、まずインターネットにアクセスできるという環境自体がすでに「恵まれた」ものであるということと、実際にアクセスできても「逃げ場」に見えたのは実はさらなる地獄でした(家出掲示板みたいなやつとか)みたいなのもあるし、単純に「インターネットがあれば最高ッ!」みたいには言えない。
ひどい状況にいるひとたちに、「あなたはひどい状況にいる」と知ってもらって、その上で安全な逃げ場を提供するのって、どうしたらいいんだろう。ほんとうにわからないし、そもそも「逃げ場を作ってあげたい」とかそういう気持ち自体が「余計なお世話」で自分の支配欲の表れかもしれないし、そもそも自分が逃げ場になるためにはそれこそ自分の人生まるまる使うくらいの必要があるだろうし、それを行うこともできないし、とか思って、ほんとうに暗い気持ちになる。はぁつらい。
役に立つレベルのプログラマーはそういうのを必要としてない
音楽とか映画とかたくさん聴いてる見てるほうが偉いみたいな風潮あるけど、べつに偉いわけではない。
偉いわけではないけど、センスみたいなやつってどれだけ良いもの悪いものにたくさん触れてそれを自分の中で消化してきたかみたいなところあって、そういう意味では「コードたくさん読むと良いよ」みたいなもんと一緒でたくさん触れれば触れるほど良い悪いわかるようになるみたいなのはあると思う。
ただ、べつに偉さとかじゃないから音楽とか映画とかたくさん触れてるから俺がマウントポジション取りますみたいな政治はクソ。
でも好きならたくさん見たり聴いたり読んだりすると今までは面白さがわかんなかったものとかも面白く感じられたりするのでお得だと思う。
一方、たくさん触れると「あーはいはいまたこれのパターンね」みたいなのも出てきて悪さにも気づいたりするんだけど、結局好きか嫌いかって良いか悪いかと別ものだったりするし、わたし小沢健二の音楽そんなに良いと思わないけどすごい好きみたいなのあるから、良い悪いべつにして好き嫌いあればそれはそれでいいんじゃないのって思う。
良い悪い見極めるみたいなセンスはあったほうが楽しいし、それとは別に「悪いけどすごい好き」とか「良いけどぜんぜん好きじゃない」みたいなのあったほうが豊かだなって思う。
それで言うと坂本龍一の音楽すごいなって思うし良いなって思うけどぜんぜん好きじゃない。
ジェンダーの話題とか差別の話題とかに関して、「わたし(たち)はジェンダーや差別から自由であり、おまえ(たち)は差別やジェンダーにとらわれている、だからわたし(たち)がおまえ(たち)を導いてやろう」という種類の言説には耳を貸さなくていいと思う。
ジェンダーや差別というのは社会性が内面化されたものであり、常に社会との関わりの中で動的に生じるものであって、そこから自由になるということはありえない。
言い方を変えると、わたしたちは全員社会との関わりの中でジェンダーを内面化したり差別意識を持ってしまったりする。自分の周囲の社会と関わらずにそれらの概念を知ることはない。なので、誰も「社会とは関係ない神の視点」にたってこれらについて考えることはできない。
わたしたちは常に/既に社会との関わりの中に置かれているので、そこから自由な視点から社会全体を見渡すことはできない(努力する事はできる)し、だから「絶対に正しいと言える理想の社会」を想定することはできない。だから「わたし(たち)はあるべき理想の姿を知っている、おまえ(たち)は知らない」という発言は常に嘘だ。
差別の話とかジェンダーの話とかって、ここが出発点だと思う。この出発点から「じゃあそういう中で誰かが不当に苦しい状況におかれないようにしていきましょうね」という話になるし、その出発点にたたない限り「私はあなたのことがわかりません、だから聞かせてください、その上で一緒に考えましょう」とはならない。「俺の立場から見た俺の理想に従え」にしかならない。
あと、そうやってようやく出発点に立ったあとにも「サバルタンは語ることができるか問題」とかも出てくるから、もうなんだか生きて行くのは大変ですね(投げた)
A:「ブラック企業が嫌ならやめりゃいいじゃん」
B:「やめてすぐホワイトな企業に就職できるならみんなやめるよ」
A:「そんなの自分でやれよ、他人に求めるな」
っていうの、A氏は「ホワイトな職に付けない/付かない人間を違法な待遇で働かせることには問題はない」と考えているのかな、という印象を受ける